今回は、少し肩の力を抜いた“個人コラム”という形で、私自身の考えや感じたことを綴ってみようと思います。

普段は、生成AIを活用したネットビジネスについてのノウハウを中心に発信しているのですが、たまにはこういった息抜き的な発信もいいのではないかと感じた次第です。

テーマとしては、「生成AIに対して、私が実生活で感じたこと」について。

仕事でもプライベートでもAIに触れる機会が増えてきた中で、ふと立ち止まって考えたことを、自分の内面をさらけ出すような気持ちで書いています。

共感いただける部分もあれば、解釈の違いから違和感を覚える部分もあるかもしれませんが、どうか温かくお付き合いいただければ幸いです。

AIは人の仕事を奪うのか?仕事現場で感じた葛藤

最近、職場でもプライベートでも、生成AIを使って作られたコンテンツやツールに触れる機会が本当に増えました。

私自身の情報発信では、生成AIを前向きに捉え、それを活用してビジネスにつなげていく方法をよく語っています。

けれど、その一方で、内心ではネガティブな面にも気づき、複雑な感情を抱いていることも事実です。

たとえば、私の職場では「生成AIを業務に取り入れて効率化を図ろう」という取り組みが進んでいます。

業務の生産性を上げ、最終的には人件費を削減する——そんな方針が現場レベルでも具体化してきました。

もともと私は、AIが普及する以前から、業務改善や効率化の企画、システム開発に携わってきた人間です。

その中では「いかにして働く人のパフォーマンスを最大限に引き出すか?」という視点がとても大切でした。

人の強みを活かし、仕事を楽にしながら価値を生み出す、そんな支援をしてきたつもりです。

ところが、生成AIの導入による「効率化」は、単に人の手を減らす方向に向かいがちです。

たとえば、10人でやっていた仕事が、AIの導入で5人で済むようになる——その“削減された5人分”の仕事は、果たしてどこへ行ってしまうのか。

単純に人件費削減として捉えると、雇用が失われるリスクもあります。

もちろん、AIで浮いた時間を新しい仕事に振り向けたり、人間にしかできないクリエイティブな仕事に活かすという選択肢もあります。

しかし、それを実際にうまく実現できるかどうかは、環境次第ですし、常に希望的観測で語れるものでもありません。

AIが生み出す「無意味な情報」と、情報との付き合い方

また、プライベートでも、生成AIが作った画像や動画、文章などを目にする機会が増えてきました。

誰でも手軽にコンテンツを作れる時代になり、ネット上には無数の情報が溢れています。

けれどその中には、私自身の生活にまったく必要のない情報も多く含まれています。

目的もなくスクロールしていると、つい目に入ってしまう。

そんな時間の過ごし方をしていて、「これは果たして意味のある時間の使い方なのか?」と自問することが増えてきました。

生成AIによって、手軽にコンテンツが量産できることは事実です。

しかし、量が増えるということは、比例して“ノイズ”も増えるということです。

見なくていいものまで目に入る——そんな状況が常態化していくと、自分の時間や集中力が奪われていくのではないかと、危機感すら感じます。

AIに人生相談?その“寄り添い”の限界と可能性

私が驚いた出来事のひとつに、「人生相談をChatGPTにする」という話があります。

職場の同僚の会話で耳にしたのですが、恋愛の悩みや人生の選択について、生成AIに相談するというのです。

最初は正直、「えっ、まじか」という気持ちでした。

私にとって生成AIはあくまで、情報整理やアイデア出し、タスク効率化といった“仕事の補助ツール”。

だから、人生にまつわるセンシティブな問題を生成AIに預けるという発想がまったくなかったのです。

もちろん、生成AIに相談することで気持ちが軽くなる人もいるでしょう。否定するつもりはありません。

しかし、生成の仕組みを知っている身としては、「インターネット上の膨大な情報から生成された“それっぽい回答”」に、どこまで本気で心を預けられるのか? という違和感は拭えませんでした。

この話を聞いて思い出したのが、アニメ『PSYCHO-PASS』です。

あの作品では、人間の精神状態や適性がAIによって数値化され、人生の進路や職業までもが決定される世界が描かれています。

つまり「個人の判断」が“システム”に奪われる社会です。

生成AIが集めた過去の偉人の知識や統計をもとに、人の人生を最適化するように導く——その仕組み自体は一見合理的にも見えます。

しかし、それで本当に“自分の人生”と言えるのでしょうか。

現実のAIは、まだそこまでの権限を持っていません。

しかし、恋愛や人生の相談に使われるようになると、その延長線上にある「AIに人生を委ねる社会」が、少しずつリアリティを帯びてくる気がするのです。

昔なら、人生の悩みは友人や家族、信頼できる人に話していたはずです。

ときには専門家に相談することもあったでしょう。

そこには「人と人との関係性」が前提にありました。

ところが今は、関係性も距離感もいらない、匿名で済むAIがその役割を担い始めている。

この変化が“便利”なのか“危うい”のか、私はまだ答えを持てずにいます。

ただ一つ言えるのは、AIにできることと、人にしかできないこと。

その線引きを自分の中でちゃんと持っておくことが、これから先の情報社会ではとても大事になる——ということです。

情報過多の時代に求められる“選ぶ力”

生成AIがもたらした変化のひとつは、「誰でも、簡単に、魅力的なコンテンツを作れるようになった」ことです。

画像、文章、動画、音楽……あらゆるものが一気に生成可能になり、インターネットは未曾有の“コンテンツ洪水”の時代に突入しています。

しかし、それによって私たちユーザーが得られる情報は、本当に“必要なもの”ばかりでしょうか?

むしろ、必要のないもの、ただ気を引くためだけに作られたもの、無意味に時間を奪ってくるものの方が増えているような気がしてなりません。

だからこそ、情報の「受け手」としての姿勢がますます問われる時代になってきたと感じます。

つまり、自分にとって“本当に価値のある情報”を見極め、取捨選択する力——いわゆる「情報リテラシー」や「メディア感覚」が不可欠になっているのです。

これは生成AIに限らず、YouTubeやSNSなどのコンテンツ視聴習慣にも言えることです。

スマホを開けば、無限に動画が流れてきて、気づけば1時間……。

私自身、そんな時間の使い方をしてしまうことがあります。

しかし、それって果たして“有意義な時間”なんだろうか?とふと思うのです。

もちろん、気晴らしや娯楽として動画を楽しむのは悪いことではありません。

ただ、「何も考えずに、何となく、だらだらと」時間を使うことが常態化してしまうと、自分の人生から本当に大切な時間が奪われていく感覚があるのです。

一方で、読書のように「意識的に情報を受け取る行為」は、思考を深め、自分と向き合う時間にもなります。

何を見るか、何を選ぶか——この“意識の向け方”が、AI時代における幸せな時間の使い方につながるのではないかと、私は感じています。

「文脈」のない情報に意味はあるか?

私が生成AIで作られたコンテンツに触れるとき、どうしても気になってしまうのが「その背景や意図が感じられないもの」です。

どんなに綺麗な画像でも、かっこいい動画でも、「なぜそれを作ったのか」「どういう想いが込められているのか」が感じ取れないものに、私はあまり心を動かされません。

背景や意図、つまり「文脈(コンテキスト)」があってこそ、情報に深みが出る。

逆に、文脈のない情報ばかりが拡散される世界になってしまえば、受け手の感性もどんどん“浅く”なっていくのではないかと、私は危惧しています。

ネット上で「なんとなく、いいね」と感じる情報が当たり前になっていく世界。

その“なんとなく”が蔓延すると、いつか私たちは「本当に良いもの」の価値すら見失ってしまうのではないか——そんな懸念も、少し抱いています。

ちなみに私は、生成AIそのものを否定したいわけではありません。

むしろ、それは非常に画期的で、人の才能を引き出すための素晴らしいツールだとさえ思っています。

実際、使い方次第では、誰かを幸せにするコンテンツを生み出すこともできるし、ビジネスの生産性を劇的に向上させることも可能です。

しかし、だからこそ「使い方」や「扱う人間の意識」が問われるのです。

マインドセットとしては、「行動はポジティブに、思考は慎重に」。

これは、生成AIに限らず、あらゆるテクノロジーやツールに共通する姿勢だと思います。

人は、自分が発信したコンテンツで、他人を幸せにも不幸にもできてしまう。

そういう“責任”を自覚したうえで、AIと付き合っていくことが、これからの情報社会を生きるうえでとても大切なのではないかと、私は思うのです。

おわりに:生成AI時代の「幸せな情報の選び方」

ということで、今回はちょっと個人的な内面を語るコラムになりました。

いつもは生成AIを活用したビジネスの実践法を中心に話していますが、こうして一歩引いた視点からAIと向き合ってみると、また違った気づきがあります。

大事なのは、AIを「どう使うか」と同時に、「どんな情報と、どう向き合うか」という“受け手の意識”だと思っています。

便利な時代だからこそ、自分の時間や感性を守るために、選び取る力を育てていきたい。

そう思えるようになったのも、生成AIが当たり前になった今だからこそ、かもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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